こころが傷つきたがってるんだ

井の頭のその真新しいキャンパスを事故物件に変えてやろうと意気込んだはいいが、5階というのは高い。窓枠から身を乗り出して下を見ると、黒や茶色の点が動いている。それは人だった。ホップステップなんちゃらだと自分に言い聞かせながらも、授業が終わり教室を移る人たちが気になって、行動できないでいた。

建築基準法かなにかは知らないが、このキャンパスの建物の最上階のこの場所には、非常用はしごと開閉できる窓が取り付けられていた。最初は図書館の2階から飛び降りようかと思った。手すりを乗り越えて下を眺めたら高さが怖くて、でもこころのなかのもやもやとした感情は消えず、私は自分のなかで行動しようと決断していた。

昔日吉の4階から飛び降りた慶應生がいたな。

なんて思いつつ開けた窓の手すりを乗り越えて、窓枠の下部分に立つ。しゃがむ。この大学の窓は上部のみが開閉する仕組みなので、下部に座れば完全に自殺志願者にしか見えない。

措置、医療保護、無傷。なんだろう。

さて後は飛び降りるだけ、という段階で下を見たら勇気が足りなかったので、また窓枠を乗り越えてE棟の中に戻り、4階の通路でホームレスのようにただ座っていた。

I限の授業が早く終わり、別件で相談していた教務課に進捗を聞いたら軽くかわされた。図書館でレポートでも書こうかと思ったら全然筆が進まないので「今回のレポートは作成しません」とだけ書かれた紙を印刷した。そうして2階から飛び降りようとしたら勇気が足りず足を滑らせる的アクシデントもなく、図書館2階からE棟5階に移動してチャレンジしようとするもII限も始まってしまい、人生計画的な授業を受けるのに到底大学にいる必然性など見いだせるはずもなく出席点を捨てて、ただE棟4階でうずくまっていた。

1時間くらい記憶が途切れ途切れになる。寝ていたのかもしれない。

記憶があるのはここからだ。

「大丈夫ですか?」

若い女の警備員さんが私に声をかける。

私は大丈夫ですと言うと階段でE棟を抜けて、ただ食堂で日替丼を食べる人に戻った。

ルールか世の中の空気か

「授業中ですので帽子は取っておきましょうか。それがこの国でのルールとされています」

200人くらいが収容された講義室で、大学教員がスピーカー越しに話す。別に講義室で帽子をつけていようが取っていようが、誰も困らないことには誰も気が付かない。室内では帽子を取るというのがルールとして形成されているから。

ルールはメインストリーム以外のマイノリティを排除することになる。抗がん剤治療で脱毛が気がかりな人は帽子をかぶればいいが、この教室ではそうもいかない。多くの人が帽子をつけて室内にいるのはおしゃれであり抗がん剤治療とは関係ないのだろうが、抗がん剤治療を受けている人はその状況下では「埋没」できる。

今は薬物乱用防止推進運動の期間の最中だ。「薬物乱用ダメ。ゼッタイ。」といい、心身に影響を及ぼすからとか人生を終わらせるからといった理由をつけて薬物の医療目的外での使用を否定するこの運動は、やはり世の中のメインストリームが「薬物はなにがあってもダメ」だからだ。そういう空気だから、薬物使用者は逮捕されたり、精神科に入院したり、支援施設で病者として生活することになる。私たちは生まれてから薬物乱用は異常者だからああなってはいけないという空気で暮らしてきた。そういうルールがあった。

ルールが正義だろうか。正義とはなにか。東日本大震災発生後からしばらくは「東電社員死ね」すら批判を浴びなかった。おもいっきりのヘイトスピーチなのに。最近安保法反対を訴え新宿で焼身自殺を図った男はなぜ妄想のひどい統合失調症患者として扱われないのか。

そういう世の中の空気だからである。

トランス界隈を考える上で必須の5単語

トランス界隈を考える上でのほんとにほんとにちょっとだけの用語集。 

 【性別違和】
性別への違和感により、社会的な生活に影響が出ている状態を性別違和と診断する。 DSM-5識別診断ハンドブックでは

  1. 性別役割との不調和(少女における「おてんば」行動、成人男性における機会的女装など)
  2. 異性装障害(異性の服装をする行動により性的興奮を感じ、自分の元々の性別には疑問を感じない)
  3. 醜形恐怖症(性別を否定しない)
  4. 精神病性障害(妄想)

――は診断の際に除外すべきだとしている。 性別違和を覚えた時期で早発性と遅発性に分けることができる。MtF早発性は性的指向が男性が多いが、思春期以降の遅発性は女性に向いているひとが多い。全体として遅発性は社会的、心理的、発達的な課題を抱えていることが多い。GID原理主義的な考えは性同一性障害はものごころ付いたころにすでに自分で分かっているもので(「生まれた性別を間違えた」)、早発性や遅発性もないとする。

【パーソナリティ障害】
子どものころに受け入れられてくれる存在がなく、自我が確立できない状態。自分が自分でないように感じるのは性別のせいかも、との考えでトランス界隈に入ることもある。パーソナリティ障害の原因は、親が親の役割を果たさなかった家庭環境にある。発達障害など周りに受け入れられた経験がないせいで、性別違和様になることもある。

 【パス度】
外見で男か女かどう判断されたかをはかるもの。POSシステムの年齢層ボタンが知られる。CoCo壱番屋の伝票には「M: F: C:」と書かれた欄があり、Mは男性、Fは女性、Cは子どもを表す。それぞれの記号の横には人数が入る。もし伝票に「F: 1」と印字されていたら、店員は女性1人の客だと認識したことになる。完全に望みの性別に見られることを完パスと言うが、完パスを自称している人間はノンパス(パスできない)である。

【W】
都内にある性同一性障害診断書発行センター。

【自殺】
ホルモン療法に伴ううつ状態は約15倍、自殺や原因不明の死亡により死亡率は約5倍とされるが、岡山大学ジェンダークリニックを受診した患者の80.5%が自殺念慮を、35.6%が自殺や自傷の経験を持っていた。性別違和を持つものはなんらかの精神疾患をかかえていることが多い。